筒井康隆の『旅のラゴス』を読んだ。
北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か? 異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。
『旅のラゴス』より引用
『旅のラゴス』は、そのタイトル通り、ラゴスという男の旅が描かれているのだけれど「旅=人生」ということで、ラゴスの人生そのままが描かれた作品となっている。
そして僕が見るに、ラゴスの心情は、作者・筒井康隆が感じたことそのままを描いている気がする。特に印象的だったのが「王国への道」だ。ラゴスは、ついに旅の目的の1つである「先祖が残した書物」を見つけることができ、それを約15年かけて読み耽るのだけれど、その際に”読書の順番”や、それぞれの学問を学ぶ意義みたいなものが延々と語れる。これは言ってしまえば”筒井康隆流読書術”みたいなものである。
作中では、おそらくラゴスが世界トップレベルの知識人であり、教養人であり、つまりリベラルアーツの言うところの自由人なのだけれど、教養を手に入れた人とそうでない人では、行動論理が明確に違うことも、作中で示唆されているような気がしてならない。ラゴスは、いつまで経っても世界に縛られることはなかった。一方、ラゴスを奴隷にしようとした連中は、皆揃って愚かだったように思える。
『旅のラゴス』は、そのタイトル通る、ラゴスという男の旅が描かれているのだけれど、僕たちがありとあらゆる本を読んで様々な世界を旅するのも、ちゃんとれっきとした旅であり、そしてそれこそが人生なのではないかなぁと思っている。
もしテクノロジーの進化によって、働く必要が無くなったとしよう。その場合、多くの人間は、時間を持て余すのではないだろうか。そのような時代では、何よりも”自分なりの生き方”が必要である。そして僕が思うに、余りある膨大な時間と向き合うには”学び”と”奉仕”の2つのアクションが必要だと思うのだ。まるで旅のラゴスのように。