『新訳 走れメロス 他四篇』

森見登美彦の『新訳 走れメロス 他四篇』を読んでみた。

僕は森見登美彦のファンで「森見作品を全部読んでおこう」と思っているのだけれど、たまたまKindle Unlimitedで本書が読み放題だったから、読んでみることにした。

本書は、題名にもある『走れメロス』に加えて『山月記』『藪の中』『桜の森の満開の下』『百物語』という近代文学の名著を森見登美彦がアレンジしたものになっている。

僕は『走れメロス』以外は読んだことがなかったので、まずは青空文庫で原作版を読んでから、本書に臨むことにした。

『山月記』は、現実から逃げ続けた「こじらせインテリ」が虎になるというお話なのだけれど、それを森見登美彦は、京都を舞台に”本気を出す覚悟のない男”が天狗になっていく様を描いた。個人的に『山月記』は、自分の状況にややマッチした内容だった。心のどこかで、本気を出すことを恐れている自分がいるのではないかと、とても考えさせられた。そして、自分から逃げた結果、人間を忘れ、虎や天狗になってしまうのかもしれない。言わば『山月記』は反面教師である。

『藪の中』は、1つの殺人事件に対して複数の証言が語られるお話なのだけれど、森見版では、3人の男女による恋愛映画に対する複数のコメントが挙げられていた。原作『藪の中』は、人間によって解釈がまるで異なることを文学的に描いているのだけれど、森見登美彦はそこからさらに発展させて、1つの恋愛ドラマに対する個人の考え方の違いを描いていた。これも中々におもしろかった。

そして個人的に一番好きだったのは『走れメロス』だ。『走れメロス』は、簡単に言えば親友が約束を守るかどうかを描くお話なのだけれど、なんと森見登美彦版では、むしろ「約束なんか守るわけない」という賭けで勝負するのである。これは笑った。主人公は全力で約束を破ろうとして、親友も「あいつが約束を守るわけがない」と言う。でも、この阿呆なエピソードの終盤で描かれる友情論は、中々に的を得ていると思う。

『桜の森の満開の下』は、美しさに潜む残酷さを”桜”と”美女”にかけて描いた作品だ。森見版でも、ストーリーの大筋にほとんど変化はないが、”京都”と”作家”がテーマになっていて、森見作品らしいと思った。

最後の『百物語』は、説明が少し難しいのだけれど、簡単に言えば”傍観者”に関する物語だ。パーティーでも飲み会でもイベントでも仕事でも恋愛でも、その雰囲気に乗ることができず、一歩離れた安全圏から傍観してしまう人はかなり多いのではないかと思う。かく言う僕も、その一人だ。そしておそらく森鴎外と森見登美彦もそうなのだろうし、クリエイターは全員そうなのだろうし、もっと言えば、”本を習慣的に読む全ての人”も、傍観者の気質があるのではないだろうか。そんなことを、皮肉を交えて描いているのが『百物語』である。

本書のおかげで、近代文学に対するハードルがかなり下がったのが、僕の収穫だった。森鴎外みたいな明治期の作家の文章はちょっと難しいけど、太宰治や中島敦らへんの昭和期の文章だったら、全然すらすら読める。それに思ったより短編が多そうだから、隙間時間を見つけてもうちょっとハイペースで読んでみようかなと思う。