『モモ』

ミヒャエル・エンデの『モモ』を読了した。

『モモ』は”時間”がテーマになっている作品だ。『モモ』の世界では時間貯蓄銀行に所属する灰色の男たち・時間泥棒という奴らがいて、こいつらが人々の時間を奪うのである。時間を奪われた人々は、何だか忙しそうに仕事に励む。子どもに関しては「将来のためだから」という理由で勉強をさせられる。忙しい人々の中には、経済的に成功する者もいた。けれども、なんだか楽しくない。

一方、主人公の女の子・モモには不思議な魅力があった。彼女は何時間でも待つことができるし、話を聞くことができるのだ。最終的に、時間泥棒によって奪われた時間をモモが取り返すことで、物語は幕を閉じる。

僕が『モモ』を読んでいて感じたことは色々あるけど、その中で考えさせられたのは「”時間”に当てはまる動詞は一体何なのだろうか?」ということである。おそらく忙しい人々の多くは、時間をお金と同じ資源の1つだとみなしているので「時間を使う」という表現をする。「時は金なり」という言葉に対して多くの人が共感を抱いているが、この言葉は「金>時間」の図式があるような気がしてならない。

でも本来であれば、時間というものは使うものではない。無理やりに動詞を当てはめるのであれば、時間は”過ごすもの”だと思う。時間というのは、僕たちが時の流れを感じることにより知覚の一種なのであって、資源ではない。もっと言えば、仮に時間が資源なのだとしても、時間は人生そのものなわけだから、図式としては「時間>>>>金」ぐらいになるだろう。