『ホモ・ルーデンス』ヨハン・ホイジンガ ★★★

ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』を読んでみた。

ホモ・ルーデンスとは「遊ぶ人」のことで、ホイジンガは「遊びは文化に先行しており、人類が育んだ文化は遊びから生まれた」とし、人間活動の本質が遊びにあることを指摘した。

ホイジンガによれば、裁判、戦争、儀式、哲学、芸術らは全て遊びから生まれたとしている。ただし、ホイジンガが定義する「遊び」は、一般的な考えとは少し異なる。

  • 遊びは自発的な行為
  • 決められた時間と場所の現在の中で、絶対的な規則に従って遂行される
  • 遊びは、そのこと自体に目的を持ち、緊張と歓喜の感情で満たされている
  • 遊びの概念は真面目の概念より次元が高い。真面目は遊びに対立するが、遊びは真面目を内包する

では、現代社会における裁判、戦争、儀式、哲学、芸術、スポーツなどが「遊び」なのかと言われると、それはどうやら違うらしい。

ホイジンガ曰く、遊びと幼稚っぽいことは違うものである。現代社会は、社会的または政治的意図を覆い隠すために、遊びの形式が意識的に使われている。この「社会的」の中には資本主義社会も含まれる。

例えば、何も生み出すことがない「舞踊」は、まず間違いなく「遊び」だが、そこにビジネス的な何かがあるのだとすれば、はたして舞踊は自発的な行為と言えるのだろうか。

また、うわべだけ遊びの概念を持つ現象を見誤り、邪道に落ちることも、突然のことながら遊びではない。そしてホイジンガはこれを「ピュエリリズム(文化的小児病)」だとしている。

僕は本書を読んでいて、この「ピュエリリズム」が1番考えさせられた。ホイジンガの考え方を読み取る限り、この現代社会における「遊び」のほとんどは「ピュエリリズム」に該当するように思える。

最近、日本のアニメが世界中で話題になっているけれど、それは大人向けアニメが増えたわけではなく、大人の視聴者が子どもになっているということのような気がしてならない。思えば、近年の欧州を中心としたアートアニメーションは、完全に大人向けに作られていて、ビジネス的な要素も薄いことから、ホイジンガの「遊び」に該当するように思う。だが日本のアニメは、商業的な文化が根底にあるから、やはり「遊び」ではないのだろうか?

しかしスティーブ・ジョブズは、Appleを成功させるために、アートとテクノロジーを融合させ、それをビジネスに乗せることで、世界を変えてみせた。ホイジンガの言うところの「ピュエリリズム」は、前時代的な考え方で、今はもっと柔軟に考えた方がいいのだろうか。

どちらにせよ、僕は本書を読んで「遊び」の重要性を知ったが、それと同時に「遊びとは何か?」を本質的によく考えるようになった。多分本書は、30代になったら再読すると思う。