25歳

2025年3月2日、僕は25歳になった。

子どもの頃は、真夜中に起きることは許されないことだったのだけれど、中学生になると平気に夜更かしするようになり、誰もが毎年、自分の誕生日になる真夜中のその瞬間を心待ちにすると思う。

しかし僕の今年の誕生日は、特別な感情を抱くことがなかった。僕は真夜中に本に耽り、そしてその日は卓球の試合だったから、ただただ卓球に夢中になっていた。気がついたときには、既に夜の22時ごろだった。

この文章は3月3日23時半頃、お風呂の中でスマホを使って書いている。

25歳という年齢は、若者にとっては「アラサーの入り口」なわけだが、僕にとっては「四半世紀生きたこと」という考えの方が強い。

人生100年時代なのだとしたら、既に4分の1を生きてきてしまったわけで、残りは4分の3しかない。これまでの僕の4分の1の人生を振り返ってみれば、約半分は大人に見守られながら日々を生きるだけで、約半分は卓球だった。

今、僕は実家に暮らしていて、そして誕生日は、卓球に集中していた。

前々から、25歳になったらちゃんと生きよう、と決めていた。「ちゃんと生きる」とはどういうことかと言えば、独立して生きるということである。

一般的に「独立」とは、実家から出て一人暮らしすることや、会社に頼らずに自分の力だけで生計を立てることを指すが、僕が定義する(したい)独立とは、経済的にも社会的にも独立することである。これは実家や会社はもちろんのこと、金銭的自由を得ることや、国家からの独立も意味する。

まずは経済的に自立するところから始めなければならない。なぜならこの社会は資本主義で、お金があれば大抵のことはできるからだ。ただし、資本主義に囚われるのはよろしくない。