『職業としての小説家』

村上春樹の『職業としての小説家』を読んでみた。

ここ最近、小説家の執筆術みたいな本を読んでいる。僕はいつか小説を書いてみようと思っているが、そのために執筆術系の本を読んでいるわけではない。

近頃『Webライターについて(仮題)』という書籍を執筆しようと思っていて、そのために執筆術系の本を読み漁っているのだ。といっても、スティーブン・キングと村上春樹の本しか読んでないんだけどさ。

それで本書は、村上春樹の小説家としての心構えがまとめられている。僕が個人的に一番印象に残っているのは、以下のフレーズだ。

しかし小説家に言わせれば、そういう不必要なところ、回りくどいところにこそ真実・真理がしっかり潜んでいるのだということになります。なんだか強弁しているみたいですが、小説家はおおむねそう信じて自分の仕事をしているものです。だから「世の中にとって小説なんてなくたってかまわない」という意見があっても当然ですし、それと同時に「世の中にはどうしても小説が必要なのだ」という意見もあって当然なのです。それは念頭に置く時間のスパンの取り方にもよりますし、世界を見る視野の枠の取り方にもよります。より正確に表現するなら、効率の良くない回りくどいものと、効率の良い機敏なものとが裏表になって、我々の住むこの世界が重層的に成り立っているわけです。どちらが欠けても(あるいは圧倒的劣勢になっても)、世界はおそらくいびつなものになってしまいます。

『職業としての小説家』より引用

Webライターとして活動している僕が、小説を書いてみたいと思う最大の理由が、これである。僕が思うに、シンプルにどっ直球に伝えられることを、あえて回りくどく説明することが、世界に求められているように思う。そしてそのもっとも典型的な手段が、小説であり、ストーリーである。

また、小説家としての心構えとしては、以下のフレーズが印象的だった。

「『時間があればもっと良いものが書けたはずなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言うのを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然としてしまう。(中略)もしその語られた物語が、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとしたら、どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと。同じ生活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと正直な仕事があるはずだ。さもなければ君の能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」(拙訳『書くことについて』)

『職業としての小説家』より引用

お金を稼ぐための仕事であれば、小説家以外に別の仕事が山ほどある。そう考えると、お金のために小説を書くというのは、実に馬鹿げたことのように思えてくる。

執筆術に関して言えば、スティーブン・キングも村上春樹も「本をたくさん読むこと」と「時間をかけて校正すること」の重要性を説いていた。どちらも、才能より努力が求められる領域だ。そしてこれは、小説家だけでなく、Webライターでも同じことが言えるだろう。