冬至(2023-1222)

古代では、一年の中で最も日照時間の短い当時の日が、一年の始まりの日だとされていた。現在もその風習は色濃く残っており、例えば大洗磯前神社では、冬至の日になると、海辺にある「神磯の鳥居」に日の出の光が差し込むレイラインが浮かび上がる。また、僕が大学時代に助勤でお世話になった穴八幡宮の代表的な御守・一陽来復は、冬至・年越し・節分の日に、定められた方向に向かう形で屋内に貼ることで、始めてご利益が得られる御守だ。そのおかげで、穴八幡宮は年末年始よりも冬至の方が、多くの参拝者で賑わう。

そして2023年の冬至、僕はお気に入りの神社の1つである神田明神で(ほかの人よりちょっと早い)初詣に赴くことにした。朝6時半の秋葉原は、人の気配がほとんど感じられず、それでいて空が朝焼けだから、冷静に考えるとかなり幻想的な風景となっている。いつか、人の気配がほとんどないブルーアワーの東京だけで写真集を作りたいと思う。

さて、一年の振り返りほど無益なものはないけれど、しかし一年の振り返りが味わい深いのは間違いなく、それが娯楽に変化したのが「忘年会」だ。ということで、一年の節目である冬至の日に、今年の振り返りを実施したいと思う。

2023年という年は、僕にとっては割と「普通の年」になった。2022年は大学卒業と同時に旅を開始し、八重山諸島の離島をアイランドスキップしたりしたわけだけれど、2023年は、そこまで大層な旅に出かけていない。強いて言うなら7月後半の2週間で関西に滞在していたぐらいで、それ以外は2泊3日程度の小旅行しかやってこなかった。

というのも、僕は2023年に「真面目に生きること」を決心したのである。僕にとっての「真面目」とは「ちゃんと未来を意識して生きる」ということだ。例えば、何かお金を使うときは、必ず「これが未来の自分にとって重要なのかどうか」を考えるようにする。この問いに対する答えが「No」だったら、僕はその場でお金を使わない。

そしてそれはお金だけに限らず、時間にも該当する。よく「タイムイズマネー」と言われるが、実際は「タイムイズライフ」であり、つまり時間とは、寿命と同義なのである。1時間使うということは、1時間分の寿命を使うのと同義で、1時間分の寿命を2,000円程度で換金しているのが、現在の多くの若者である。

若者の最大の特権は「残りの時間がたっぷりあること」であり、これを最大限活用するには、とにかく遊び、学ぶしかないように思う。資本主義社会では、貧富の差が激しく拡大しており、時給1,000円の人もいれば、時給100万円の人もいる。しかし、1時間が1時間なのに変わりはなく、どれだけ貧富の差が拡大していても、1時間に見れるアニメは2話〜3話分なのだ。だが困ったことに、お金がない人ほど時間に追われているようで、本当は1時間に見れるアニメは2話〜3話分なのに、倍速再生なんかやっちゃたりして、無理矢理に1時間に5話分ぐらいのアニメを視聴し、それでいて結局、何も得ようとしない。

つまり、僕にとって「真面目に生きる」ということは、可能な限り働かないことなのである。可能な限り働かず、いかに学びの時間を確保するか。打算的に言えば、1時間を1,000円で換金せず、今のうちに時給100万円稼げるようになるために、1時間を学びの時間に充てる。これが、在るべき「真面目な生き方」なのではないかと思う。

孔子曰く「十五で学を志し、三十にして立つ」なのだそうだ。つまり23歳の僕は、まだまだ「学びのフェイズ」であり、本格的に仕事に取り掛かるのは三十からがいいのである。……という言い訳を自分に言い聞かせている。

では具体的に「真面目に生きる」ようになって、何が変わったのか。まず僕は、時間に対してもっと真剣に考えるようになった。先ほども述べた通り、僕は未来の自分にとって重要になりそうなことにしか、リソースを割かないことにした。その第一歩として、まず僕はLINEをアンインストールした。もちろんInstagram、Facebook、Twitterはナシだ。また、お金の使い方も見直すようにして、遊びを可能な限りキャンセルするようにした。一方で、自分が興味のあることについては、ガンガンお金を使う。例えば、最近は音楽が該当する。2023年になって、僕は「音楽制作を始めよう!」と思い、機材を購入して、毎日1枚はアルバムを聴くようにして、そして気になったライブには可能な限り参加するようにしているのである。また、ミラーレスカメラも購入しちゃって、おかげさまで僕の貸借対照表が60万円分肥大した。

だが、音楽もカメラも、どちらも「十分に回収が見込める」と僕が判断したから購入できたのである。先ほど紹介した「タイムイズライフ」とか時給のくだりを考えると、何かを始めるんだったら、今すぐに始めてしまった方がいいのは間違いない。これが僕にとっての「真面目に生きる」だ。

さて、新年の僕はどうなるのだろう。ただ、新年の僕を予想したところで、どうせ予想外のことが満載なわけだし、やはり「今年の目標」ほど無益なものはないけれど、しかし今年の目標を立てることが味わい深いのは間違いなく、それが娯楽に変化したのが新年会である。

個人的には「2024年は隠居の年にしたい」と思っている。つまり、2024年は何もしない。ただただ引きこもって、準備する。もっと言えば、2020年代(つまり僕の20代)はずっと隠居の年にしたい。一方で「もっとおもしろい人に出会いたい」という気持ちもあるのが難しいところだ。最近は取材に対応するために「名刺がわりの本」を作ろうと計画中で、人に会う気満々なのだが、そこをグッと我慢して、とにかく節制して、可能な限り働かず、ひたすら学びに没頭できればいいなぁと思っている。

一番最強なのは「仕事=学び」の状態にすることで、この状態に入れると、多分「月収100万円稼げるほどのブラック労働をこなしながらも気持ちはハイ」という中々なワーカホリックになるのだけれど、この状態に入れるには、現在、僕が1日5時間ほど充てている「アニメ鑑賞」に一区切りをつける必要がある。もし、僕が見たいアニメをある程度まで見ることができたら、そこから一気に「仕事=学び」の状態に入れて、おそらくその頃に、全力エンジン吹っ飛ばしの旅がリスタートするのではないかと思う。だが、僕の推測では、僕が見たいアニメをある程度まで見るには最低でも1年は必要なので「仕事=学び」が2024年に訪れることはなさそうだ。