今、僕は三ツ沢上町のむさしの森珈琲でこの文章を書いている。時刻は朝8時だが、かなり賑わっている。
ここ最近は朝型生活に切り替えようと思い、朝一番にカフェに行くことが増えた。実際、朝1番にカフェで仕事するときは、生産性が高くなる。1時間から2時間程度しか作業できないので、締め切り効果があるのだと思う。
しかしこのように朝型生活を送っていると、開店時刻が早くても7時であることに滞りを感じざるを得ない。本当はもっと朝早くに作業したく、可能であれば朝6時に開店してほしいのだが、そんなカフェは滅多にない。もし超早朝に珈琲を飲みながら作業したいのであれば、24時間営業のマックを利用する必要があるが、超早朝だと逆に頭のおかしい人がいたりするので、おっかない。
ファッションについて
僕は以前より、アニメTシャツにずっと注目している。ヴィンテージTシャツの流行とアニメブームに伴い、アニメTシャツが高騰しているのだ。『新世紀エヴァンゲリオン』や『AKIRA』や『攻殻機動隊』のような人気作品のアニメTシャツは、数十万円から100万円を超えることもある。ちなみにこの文章を書いている今、僕は『攻殻機動隊』のTシャツを着ている。
そもそも近年のヴィンテージTシャツ流行の背景には、エシカル文化がある。ユニクロを始めとする大量生産・大量消費・大量廃棄にうんざいしたハイセンスな人々が、古着に注目し始めたのだ。「古着を愛用する」という行為は、そのままSDGsにつながる。実際、Tシャツは非常に耐久性の高いアイテムで、ヨレやシワが「味」と定義するのであれば、何十年だって着られる。
そう考えると、アニメTシャツは文化的背景としておもしろいと個人的に思う。古着はSDGsを象徴するアイテムだが、アニメーターを酷使する今のアニメ業界は、全くもって持続可能的ではない。ヴィンテージのアニメTシャツを着ることは、実はそれなりのメッセージがあるのではないだろうか。
さて、アニメTシャツだが、実際に着こなすのは相当難しい。Tシャツ自体がカジュアルなアイテムであることに加え、アニメTシャツのほとんどが、大胆なプリントが施されているため、非常に目立つし、超カジュアルになる。
現代ファッションは、オーバーサイズで全体としてカジュアルに仕上げるのがトレンドだが、それはファッションの本質を突いていない。ファッションの基本はミックスである。仕事着はスーツ、作業着はデニム、軍服はMA-1、山登りにはアウトドアウェアを着るわけだが、これらをミックスするのが街着の基本であり、ファッションの基本である。
この理屈であれば、アニメTシャツはスーツを始めとするドレスライクなアイテムと合わせた方がいい。だから、オーバーサイズのアニメTシャツにヨーロピアンなスラックスや革靴を合わせるのが、実は最適解だったりする。
そして実のところ、これは村上隆が提示する「スーパーフラット」に通ずる部分があるのではないだろうか。スーパーフラットは「絵画的に平面」「高級文化と大衆文化のヒエラルキーがフラット」「現代日本社会の精神性がフラット(奥行きがない)」といった意味を掛け合わせたものである。私たち日本人はアジア人であり、世界の中心である欧米人からすれば、アジア人は低級民族だ。それに対して「スーパーフラット」の考え方は、高級民族の欧米人と低級民族のアジア人をフラットなものにする。その象徴が、アニメ・漫画などのポップカルチャーと現代美術のメインカルチャーの融合だ。
アニメTシャツはまさに低級民族のアイテムだが、それを高級民族のアイテムであるスラックスや革靴に合わせる。スーパーフラットの考え方をファッションに取り入れることができる。
本当は僕も、アニメTシャツに超高級スラックスと超高級革靴を合わせたいのだが、あいにくお金がないので、ユニクロのスラックスとリーガルの革靴が限界だ。まあそれも若者を象徴する着こなし方なのかもしれないが。