『50mm』

高城剛の『50mm』を読んでみた。

僕は10月から写真活動を本格的にスタートしようと思っていて、Sonyのα7IVとFE 24mm F1.4 GMを既に購入済みで、今日か明日には届く。

その中で「そういえば写真集ってあまり読んだことないな」と思い、とりあえず高城剛の『50mm』から読んでみようと思った。

読んでいて「これ大事だなぁ」と思ったのが、ディスプレイと紙で体験が全く異なるし、サイズによって印象も全然違ってくるということである。『50mm』はスマートフォンやタブレット端末などのモバイルデバイスでは賄えないサイズ感の雑誌になっていて、これが読者を新しい体験へと誘っている。

きっと、広角レンズで撮影した写真は大きなサイズでプリントした方がいいのだろうし、スマートフォンを想定するなら、9:16のサイズを考慮して撮影するのも選択肢として悪くないはずなのである。写真作品を制作する上で重要なのはこの視点で、少なくともスマートフォン、タブレット端末、紙媒体の3つの表示形式で、求められるサイズ感やレイアウトが全く異なるはずだ。同じ1枚の写真でも、スマートフォンで見るのかPCで見るのかで印象が異なるし、同じPCでも、MacBookのような高性能ディスプレイなのか、1万円台で販売されているモニターなのかで、やはり印象が異なるだろう。

僕は現在、みなとみらいのストリート写真集というか雑誌なのかよくわからないやつを制作する予定で、これはスマートフォンユーザーを想定したKindleだけで制作しようと思っている。それと同時に、文章をほとんど挿入しない写真集を海外向けに作ってみようと思っていて、これはAmazonのペーパーブックと、タブレット端末ユーザーを想定したKindleでお届けしたいと思っている。きっと、写真を仕事にできる人とそうでない人の差は、こういった基本的なメディア特性の理解だと思うし、これは写真に限った話ではない。どのような作品をどう作るかだけでなく、どのような方法で読者及び視聴者に届け、どのような価格で販売するのかも含め、それぞれのメディア及びプラットフォームを理解する必要があるのだと思う。少なくともカメラマン及び映像作家は、InstagramやYouTubeにはない、Amazonが提供しているエコシステムの素晴らしさを最低限理解する必要があるだろう。